今から約30年ほど前、
私が前座だった頃の話です。
大阪で『米朝 談志 二人会』があり
その鞄持ちに私がついて参りました。
楽屋には米朝師ご一門の方々、鶴瓶師匠、
そして、ざこば師匠がいらしてました。
終演後の打ち上げは、ざこば師匠馴染みの焼肉屋で、
米朝師匠、うちの師匠、鶴瓶師匠をはじめ
総勢10人位が参加しておりましたが、
私も末席に加えてもらいました。
店内では、ざこば師匠が何から何までとにかく
エネルギッシュに酒席を取り仕切り、
一番下っ端の私に対してすら
「遠慮せんと、キミもどんどん食べや。
そうそう、ここの貝汁(あさりの味噌汁)が美味いで」
テレビとまるで変わらない人懐っこさで、
気さくに接して下さいました。
米朝師匠とうちの師匠が一緒だと
いつも決まって芸談、芸論になりますが、
会話の途中で師匠が
「『中田ダイマル・ラケット』は素晴らしい」と言うや否や
すかさず、ざこば師が
「談志師匠、ほなラケットせんせの店に行きましょ」
「えっ!ラケットさんが店やってんのかい?」
「やってはります!これからお連れしますわ」
思い立ったが吉日とばかり、有無を言わせぬ強引さで、
師匠をラケット先生が営むバーへ案内しました。
それから程なくして、ラケット先生は亡くなりましたが、
師匠以上にラケット先生が喜んでいたのを覚えています。
ざこば師匠を評する際に使われる『面倒見の良さ』や『漢気』、
こうと決めたらやり通す『一本気』など
あの時にそれらを間近で体験させて貰ったのは、
本当に有難く、いい思い出です。
ざこば師匠、
『天災』は腹を抱えて笑わせてもらいました。
文都兄さんの真打披露にも大阪から駆け付けて下さるなど、
我が一門とも大変に深いご縁を頂きました。
近年はご病気で思う様に高座を勤める事が出来ず
お辛かっただろうと存じます。
お疲れ様でした。そして有難うございました。